どうも、ぶっとび婚活のさっちゃんです。
この前、「結婚したいのかどうかわからなくなった」「自分の本当の気持ちを見つけたい」という話をしたんですが、よくよく考えてみると、かなり根深い問題であることに気づきました。
「結婚までが婚活」
これは、婚活女子がよく使う言葉です。
結婚したいと思って婚活を始めたのに、どうして自分の気持ちがわからなくなってしまうのか?
その原因は、一体何なのか?
真剣に考えてみました。
この記事の内容:結婚したいのか、どんな人と結婚したいのか、自分の気持ちに正直になれない理由がわかる
心は嘘をつくから
従姉妹のお姉ちゃんが子どもが連れてやってきた。
年長さんと年中さんの二人姉妹。
もう隠してもどうしようもないので、この際白状してしまおう。
私は子どもが苦手だ。
大の苦手だ。
どう接していいのかわからない。
物心ついたときから。
私が末っ子ということもあると思うけど、それを差し引いても
- 近所の年下の子と遊ぶ
- 小さな子のお世話を焼く
みたいなことが一切なかった。
そして、それは大人になっても変わらなかった。
めちゃくちゃ苦手。
でも、そんなことを大きな声で言えるほどの勇気は持ち合わせていない。
「だから、結婚できないんだよ」
なんて、もう言われたくないから。
リアルな世界では、社交的な人間を演じることだってできる。
限られた時間の中では。
「さっちゃん、子ども好きなんやね!」
と従姉妹から言われるほどに。
否定なんて、もちろんできない。
「私、本当は苦手やねん…」
なんて口が裂けても言えなかった。
まったく可愛いと思わないわけじゃない。
ただ、苦手なだけ。
バチェラー1で久保さんが「動物が好きな人は、子どもも好きだと思う。だから、動物と触れ合う女性陣の姿を見てみたい」って言ってたけど、その持論は覆す自信がある。
そんなことを思いながら、従姉妹の子どもたちに「大きくなったら何になりたい?」と聞いてみた。
すると、二人とも声を揃えて
プリンセス!!
と言った。
屈託のない笑顔で。
その瞳は一点の曇りもなく澄み切っていて、私は直視できなかった。
「ああ、私も昔はこんなふうにお姫様になりたいと思ってたのかな」
そう思った。
大きくなるにつれ、自我が発達する。
他人と自分を比べるようになる。
他人と比べられるようになる。
学校という一つの組織の中で同じ制服に身を包むと、その違いが余計に浮き彫りになる。
自分という人間を、嫌でも直視せざるを得ない。
そして、ある日悟る。
「あの子はかわいいのに、私は違う」
「私はお姫様になれない」
と。
残酷な現実を目の当たりにして絶望し、卑下するようになる。
久しぶりに大学の友達と会った。
3カ月前に付き合った彼氏とまだ一回も手を繋いだことがないとのこと。
「え、どういうこと?」
と思って聞いたら、一緒にごはんを食べたり、話す以外は嫌で、ずっとスキンシップを避けているらしい。
「え、じゃあなんで付き合ってるん?」って聞いたら、
「結婚相手としては申し分ないから」と。
彼のスペックは
- 学歴:京大
- 職業:医師
- 親の職業:大学教授
はっきりとは口に出さんかったけど、その子のお父さんも京大やし、結婚相手の学歴はもちろん、その親の学歴も重視するってことなんやろう。
私:「一緒にいて楽しいん?」
友:「うん、話は合うし、趣味も一緒やし」
私:「ほんじゃあ、何が嫌なん?」
友:「え、嫌っていうわけじゃないけど…強いて言うなら顔」
私:「生理的に無理ってこと?」
友:「うーん…」
顔がどうしても好きになれないらしい。
そうやった。
子どもの頃に思い描いてた王子様はかっこよかった。
私たちは、どうしてこんなに拗れてしまったんやろう?
日常の中で小さな挫折と絶望を繰り返しながら、やがて「妥協」という言葉を覚える。
いつまでも、子どもの頃のような純粋な瞳のままではいられない。
「私の人生、こんなもんか」
いつの間にか、お姫様になりたいと思っていた自分もなかったことにしてしまう。
これ以上、傷つきたくないから。
そして、忘れたことさえも忘れてしまう。
ときに友達の意見が、自分の意見になることもある。
隣の芝生は青い。
みんなが持ってるおもちゃは、「みんなが持っている」という理由だけで欲しくなった。
小学生の時、クラス全員がゲームボーイに夢中になった。
人の意見に全く流されない子どもは少ない。
その証拠に
小学校の頃は、足の速い男の子がモテた。
中学になると、顔の良い男の子がモテた。
高校になると、頭の良い男の子がモテた。
大学になると、その全てを兼ね備えた背の高い男の子がモテた。
社会人になると、さらにそこに年収が加わる。
「最低でもMARCH以上じゃないとね」
「175cmは欲しいよね」
「年収800は譲れないよね」
モテる男の隣に座れる席は一席しかなくて、椅子とりゲームは当然難航する。
やっぱり、みんな心のどこかで王子様を追い求めるから。
- 子どもの頃に夢見た王子様=大人のモテる男
- お姫様のドレス=ウェディングドレス
みんなが欲しいものは、私も欲しい。
そして、あんなに挫折して絶望したのに、心のどこかでそれが手に入ると思っている。
人は、他人と比べて平均以上だと考えがちだから。
その現象を「レイク・ウォビゴン効果」という。
車を運転する人に尋ねると、10人中9人までが自分を平均より上のドライバーだと答える。
「自分は平均以上のドライバーだ」と90%の人が考えている(ダイヤモンド・オンライン)
婚活も同じ。
これが現代の婚活。
きっと、みんな自分に嘘をついている。
自分が欲しいと思ってるものは、誰かの欲しいものであって、本当に欲しいものじゃない。
友達の声。親の声。ネットの声。
「別れたほうがいい男の特徴」
「手放してはいけない男の条件」
「結婚して子どもがいる女性こそ幸せの象徴」
毎日何度もログインするSNSの喧騒の中で、本当の自分の声はかき消されてしまう。
私たちは、いつどこで自分を見失ってしまったんやろう?
どんな嘘でも、小さな嘘から始まる。
傷ついたのに、強がってみたり。
大丈夫じゃないのに、平気なふりをしてみたり。
本当は大声で泣きたいのに、笑ってみたり。
「振られたw」
「浮気されてたw」
とかも、その典型。
本当はショックでたまらないのに、笑って見せることでなんとか涙を堪えてる。
そして、いつしか自虐に変える。
「私バカだからw」
「私、可愛くないからw」
「性格悪くてごめんww」
これを心理学用語で「セルフ・ハンディキャッピング」という。
セルフハンディキャッピングとは、アメリカの心理学者スティーブン・ベルグラス氏とエドワード・ジョーンズ氏によって提唱された、自分を不利な状況に追い込む行為を指す言葉です。自分自身にわざわざハンディキャップを付けて、本当の実力を発揮できない状況を作り出すことをいいます。失敗しても全力で取り組めなかったからだと、自分の能力が低く評価されるのを防ぐことを期待して行う言動です。
セルフハンディキャッピングとは?陥る原因や克服方法を具体例と共に解説(Money Forward)
マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第63回「『私、バカだから』という人の正体。 セルフ・ハンディキャッピング」(ゆうメンタルクリニック)
- セルフ・ハンディキャッピングをすると、負けたときの言い訳になるし、勝ったときは「こんな不利だったのにスゴイ!」となってトク。
- でも、セルフ・ハンディキャッピングをするほど、成功の確率は下がっていく。
自己防衛のための自虐は、やがて自分を苦しめる「呪いの言葉」になる。
「私バカだから」と言うと、本当に頭が悪くなるし、
「私、可愛くないし」と言うと、本当に醜くなってしまうし、
「性格悪いから」と言うと、本当に性格が歪んでしまう。
いつまで経っても抜け出せない悪循環。
「私、モテないから」もそう。
「モテない」と言うことで、いつまでも彼氏ができない状況が続いていく。
私がそうやった。
今もそう。
「結婚したいかどうかよくわからん」
という言葉も、きっと本当は結婚したいんやと思う。
冷静に考えて、結婚したくないなら、こんなに時間とお金かけて婚活してないはず。
もう自分に嘘をつきたくない。
でも、子どもの頃から染みついた癖を簡単には変えられない。
今すぐできることを考えてみる。
- デジタルデトックスをすること
- 自虐(セルフ・ハンディキャッピング)をやめること
- 自分の感情を正直に吐き出すこと
かといって、何も深刻になる必要はない。
ショックを受けた直後くらい、思いっきり泣いたっていい。
「笑う門には福来る」っていうけど、涙を堪えてまで口角を上げなくていい。
いつか笑って話せる日が来るんやから。
この前、フリーランス仲間に言われた。
「え、泣いたりするん!?全然想像できひんねんけどw」
仕事モードの私は、「合理主義で、思い詰めたり、ウジウジ悩んだりしなさそう」という印象みたいだ。
そんなわけで、周りからはありがたいことに「しごでき」という評価をもらえるけど、そんな自分にも少し疲れてしまった。正直言うと。
そんなに強くないし。
かといって、そこまでか弱くもないし。
仕事してる自分も、婚活してる自分も、どちらも私であることには変わりないけど、もう二度と自分を見失いたくない。
よく婚活で
「正解の道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする」
って名言みたいに言われてるけど、無理なもんは無理だよ。
食い逃げされた時に気づいた。
もし、あの人の告白にOKしてたらと思うと、ゾッとする。
あんなもん、どう足掻いたって正解にはならん。
食い逃げ男と付き合わなくて正解。
じゃあ、「正解の道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする」という言葉が100%ダメかというと、決してそうじゃない。
何か決断を迫られたときの考え方として、大切な要素は確かにある。
でも、その言葉を鵜呑みにすることで、好きでもない人と付き合ったり、自分の気持ちを押し殺して我慢することが美徳みたいになってしまう危険性を孕んでる。
選び直したらいいやん。
「正解の道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする。そして、ダメだと思ったら選び直す。何度でも」
この柔軟性を持ち合わせて生きていきたい。
婚活女子、特に30代は
「時間がない」
「後がない」
「失敗できない」
っていう気持ちが強いと思う。
私含めて。
だから、婚活コンサルとか、婚活アドバイザーの「これしろ、あれしろ」「逆に、これをしてはいけない」とかの意見がすごく気になると思う。
私含めて。
でも、私たちは、それぞれ違う人間やから。
いろんな考え方、価値観があるのが当たり前で。
「いい男の条件」も「幸せの定義」も違って当たり前。
だから、自分じゃない誰かの意見に左右されない強さを持ち合わせていきたい。
例えば、奢り奢られ論争。
ご馳走してほしいなら「お財布を出しましょう」っていう誰かのアドバイスに従う必要はないし、割り勘にしたいなら「いくらだった?」って聞いて半分払う。
自分軸で決めるのが大事。
どっちがいいかわからないなら、両方経験してみる。
ちなみに私は、ケチな人は絶対嫌という価値観。
(こんなふうに明言できるようになったのは、食い逃げ野郎のおかげでもある。これはこれで大きな収穫やった)
それ以降、
「財布を出さない女はモテない、嫌われる」
っていう意見はスルーしてる。
知らない誰かに嫌われても全然いいから、私は私を大切にしてくれる人を見つけるのに忙しいので。
もちろん、お金があっても幸せになれるとは限らないし、お金があれば防げる不幸もあるけど、お金がありすぎることで生まれる不幸があることも知った。
いろんな思いが交錯する。
ちょうど1カ月前の私の気持ち。
でも、よく考えたら、年収1500万でも浮気する人はするよな。
「年収800万円が幸福度のピーク」って言われてるけど、実際のところはどうなんやろう?
年収800万円までは年収が上がるに従い幸福度が上昇しますが、それ以降は年収が増えても幸福度はあまり変わらないということになります。
年収800万円が幸福度の限界点?年収と幸福度の関係とは(MUFJ)
年収1億円以上の人の幸福度はなんと、年収700万円以上1,000万円未満の人の幸福度よりも低いことが明らかになりました。
年収800万円が幸福度の限界点?年収と幸福度の関係とは(MUFJ)
あるフリーランス仲間が言ってた。
「年収3000万あれば、どこに行っても値札を見ずに買い物できる」
って。
その人は、30代でFIREして「暇すぎるから、また仕事復帰することにした」って言ってた。
まあ、幸せに関係あるのは、お金だけじゃないよね。
健康で幸せな人生を送るのには、「良い人間関係」が大事っていうし。
有名なTEDのプレゼン↓
この人間関係には、家族、友達、コミュニティ、いろんな形が含まれている。
大好きな人たちに囲まれていたら、そりゃあ幸せやろうな。
だから、やっぱりこの「大好きな人たち」は絶対譲れない。
お金は、生きていくのに必要な分と、たまにちょっと贅沢できる分だけあればいい。
高級レストランは、たまに行くからいい。
旅行も、たまに行くからいい。
高級ホテルをたくさん回った今もマクドが美味しく感じるし、一人カラオケだって楽しい。
自分に嘘をつくことから卒業するには、「好きなものを好き」って言うの大事やね。
どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と 言えるきもち 抱きしめてたい
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が 答えになること 僕は知ってるから
どんなときも。
私は、猫がめちゃくちゃ好き。
あなたは、何が好き?
さっきのTEDの最後は、この言葉で締めくくられていた。
There isn’t time, so brief is life, for bickerings, apologies, heartburnings, callings to account.
There is only time for loving, and but an instant, so to speak, for that.
かくも短き人生に、争い、謝罪し、傷心して、責任を追及している時間などない。
愛し合うための時間しかない、それがたとえ一瞬にすぎなくても。
マーク・トウェイン
人生は短い。
自分に嘘をついてる暇なんてないよね。
正直に生きよう、自分自身に。
この前、デパートに指輪を見に行って思ったんよね。
「やっぱり婚約指輪、欲しい」って。
私、結婚したいです!!
ふぅ、やっと本音を言えた。
最後の最後で(笑)
あなたも本音を声に出そう。
小っ恥ずかしいけど、なんだかスッキリするよ。
貴重な時間を使って最後まで読んでくれて、ありがとうね。
さっちゃんでした。
またね。
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