どうも、ぶっとび婚活のさっちゃんです。
ゴールデンウィークですね。
いかがお過ごしですか?
私は、いつもと変わらず、おうちでのんびりしています。
20代の頃は無理してバーベーキューに参加したりしてましたが、本当は陰キャなので家にいたい。
はい、これに尽きます。
(男女集まって音楽をかけながらウェイウェイとか、私の人生に必要なかった)
さてさて、そんないつも通りの日々の中で、ある一冊の本を読みました。
『嫌われる勇気』
です。
海外でも翻訳本が出版され、シリーズ・世界累計1000万部を突破した、アドラー心理学のベストセラーですね。
昔読んだことがあって、今回久しぶりに読み直したら、
ぐおおおおおおおおおおおおおおおお
となったので、心の叫びを書き留めたいと思います(語彙)
というか、書かなければならないという衝動に駆られたのです。
なぜか?
なぜ、初めて読んだ日ではなく、今回なのか?
それは、これまで読んだときと刺さるポイントが全く違ったからです。
というのも、現在私は、婚活するためにマッチングアプリを始めて、アメリカ人の彼氏ができたと思ったら、実は既婚者でしかも他に彼女もいたということが判明したという極めて複雑かつ理解しがたい状況にあります。
いや、こんな話聞いたことないねんけど…
と自分でも驚き戸惑っています。
初めての感情すぎて、どうすればいいかわからず悩みに悩んだ結果、先人の知恵を借りることにしました。
そう、読書です。
そのうちの一冊が、先ほど紹介した『嫌われる勇気』であります。
心理学の本なので、もちろん恋愛テクニックや婚活に役立つノウハウなどは一切書かれていません。
それでも、もう彼のことが何も信じられなくなった今の私にとって、まさに必要な本でした。
- 昔、浮気されたことがあって、連絡がないと彼氏を疑ってしまう
- いつも彼氏を疑ってしまう自分がイヤ…被害妄想はもうやめたい…
という婚活女子は、ぜひ参考にしてみてください。
この記事の内容:彼氏のことを疑ってしまうようになった30代非モテ女が信じる心を取り戻した方法がわかる
彼に対する不信感ばかり募っていく
例の衝撃的なビデオコールの後、彼から送られてきたLINEになんて返すべきか考えあぐねた私は、できるだけ返信を遅くすることにした。
長らく未読で放置して既読をつけた後も、わざと返信を遅らせる。
沈黙という名の反撃。
いつもは朝、お昼、夜の3回のどれかのタイミングで返してたから、少しは察してくれるんじゃないかって思いながら。
でも結局、無駄な抵抗に終わった。
また、ハートマーク付きでメッセージが送られてきたから。
ああ、はっきり言わな全然わかってくれへんのか…。
やっぱりここでも文化の違いを見せつけられる。
日本のハイコンテクスト文化と、アメリカのローコンテクスト文化。
両者の間には、大きな隔たりがある。
そして、お互いどんなに言葉が流暢になったとしても、きっとこの溝は簡単には埋まらない。
言葉以前の問題やから。
それはデーティング文化の違いで証明された。
- Thinking of you.
また、このメッセージ。
もう信じられへん。
だって、ずっとI am thinking about you.って言ってたのに、ニューヨークの恋人と会ってたんやから。
初めて会った去年の6月も、ハワイに行く直前の8月も、カリフォルニアに誘われた11月も、奥さんがいるってわかった12月も、今年に入ってからも、ずっとずっと。
何なんもう…
全部、嘘ってこと?
それとも、メッセージ打つ時だけ私のこと考えてたってこと?
ニューヨークの恋人とデートしながら。
それとも、思考停止で「これ言っときゃええか」って思いながら送ってた?
ニューヨークの恋人に送ったメッセージのコピペやった?
デーティング期間なので実際には浮気に当たらないけど、彼を疑う気持ちが湧いて消えない。
不信感が怒りへと変わる時
結局、
- Thinking of you.
に対するメッセージは、
- Thinking of you too.
で返した。
「いろんな意味で」あなたのことを考えているという最大の嫌味。
でも、伝わらない。
いつも言葉ではっきり伝える文化やのに、「付き合ってください」っていう告白はなくて、とても都合のいい文化ですね。
こっちは察する文化であっても、重要な場面ではちゃんと言葉で伝えるというのに。
はぁ…
なんて伝えたらいい?
ショックを受けてるって伝えたら、わかってくれる?
もういいや。
どうでもいい。
もう私から連絡することはない。
・
・
・
そう思ってたら、向こうから連絡が来なくなった。
最後のやりとりから、5日が経過。
は?
連絡を断ちたいのは、私やねんけど?
いつも月末は仕事が忙しいから(これもホンマかどうか、もうわからんけど)連絡が遅くなる。
でも、今はまだ中旬。
社員研修のアリゾナからは帰ってきた。
今、何してるん?
またニューヨーク行ってるん?
それとも、また別の人?
それとも、何?
私と別れたいと思ってるわけ?
ああ、そう。
ただ単に、新しモン好きってこと?
奥さんよりニューヨークの恋人のほうが新しかったし、ニューヨークの恋人より私のほうが新しかっただけってことか。
また、新しい人が出てきたら、そっちに気が行ってしまうのは当然よね。
ああ、そうですか。
結局、あなたが探してた「人生に欠けたピース」は恋愛ってことね。
だったら、もう一生デーティングやってろ
ああ、こんなんやったら、連絡がなくて彼の身を案じてるほうがよかった。
「事故に遭ったんじゃないか?」
「家で一人で倒れてるんじゃないか?」
って。
すごく苦しかったけど、お父さんのトラウマのほうがよかった。
こんな浮気を疑うくらいなら。
こんな荒んだ気持ちになるくらいなら。
初めての気持ち。
男の人から連絡がないことに対して、初めて怒りを覚えた。
今まで元カレに対しても、マッチングアプリの人に対しても、怒ったことなんて一度もなかったのに。
ただ、不安になってただけやった。
また私の目の前から消えてしまうんじゃないかって。
こんなに怒りが収まらんのやったら、不安になるほうがよっぽどいい。
元に戻りたい。
連絡がなくて不安になってた、あの頃に戻りたい。
昔の私を返してよ
「疑う気持ち」が加速すると、「怒り」に変わる。
被害妄想から自己嫌悪へ。そして錯乱
もう、イヤ…。
こんな疑ってばっかりの自分がイヤ…。
これから彼と付き合い続けても、他の人と付き合うことになっても、連絡が来なくなったら私は真っ先に浮気を疑ってしまう。
事件は尾を引く。
解決した後も、被害者が苦しみ続けるように。
傷ついた部分は脆くなる。
傷ついた心は弱くなる。
これ以上、傷つきたくない…。
もう耐えられへん…。
じゃあ、どうすればいい?
もう一生、恋愛を避け続ける?
婚活をやめる?
彼のせいで?
そんなバカな話、あってたまるか。
もし君に一つだけ 強がりを言えるのなら
もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対
もう恋なんてしない
マッキーをただひたすら聴き続ける。
なんとなく、前を向きたいような気がしてきた。
そういえば、私はどこか卑屈になってた。
彼に対して。
私にはもったいないと思ってたから。
この人の基準によると、彼は「超ハイスペ」であり、「若い爆美女と結婚できる」らしい。
この情報の真偽は定かではないし、日本とアメリカではもちろん違うと思うけど、実際若くて綺麗な弁護士の妻がおるんやから、あながち間違ってはないよね(奥さんの年齢は知らんけど、10年付き合って結婚してるという事実から、奥さんが10代後半〜20代前半の頃に付き合ったと予想)
一方、こんな30過ぎまで非モテで、爆美女でもなけりゃ美人でもない私。
アメリカで弁護士になれるほどの頭もない。
英語もネイティブの小学生レベル。
何の取り柄がある?
だから、もう強がるしかない。
私にできるのは、虚勢を張ることだけ。
こんなにショックを受けてても、どれだけ涙を流しても、傷ついたことは一切彼には伝えず、どこまでも平気なフリをする。
それが私にできる唯一の復讐。
いや、この際マッチングアプリでも始めてみようか。
カリフォルニアに奥さんがいて、ニューヨークの恋人もいて、日本の彼女もいるなら、年収1億くらいはあるんかな。
低く見積もって大変失礼しました。
年収1億円の男を落とせたなら、次はもっと上を落とせる気がする。
こんなんじゃ絶対幸せになれっこない
自分でも、どうかしてると思う。
私は、もうおかしくなってしまった。
精神的におかしい。
ここ最近ずっと寝れてないし。
こんな状態で考えても意味はないどころか、ダメなことくらいはわかる。
人の意見を聞きたいと思っても、何を信じていいかわからん。
もう、どうしていいかわからん。
とにかく、心身の健康を取り戻さなければ。
冷静になった頭で考えよう。
そうは思うものの、やっぱり夜はほとんど寝られへん。
彼から連絡がなくて、イライラする。
「また、他の女と会ってるんかな…?」
そう思ってしまう自分に嫌気が差す。
この繰り返し。
彼との関係を終わらせたところで、こんな猜疑心を持ったままじゃ、どんなに素敵な人と出会えたとしても、私は一生幸せになんてなれない。
疑い続ける人生か、人を信じる人生か
一度芽生えた疑いは、どんなに振り払っても、そう簡単には消えてくれない。
相手が変わったとしても、飛び火していく。
それは、お父さんのトラウマでわかってる。
一生、疑い続けるのは苦しい。
たとえ誰かと結婚できたとしても、それは幸せとは呼べない。
じゃあ、どうしたらいい?
これからずっと疑い続ける人生なんて、地獄でしかない。
まさしく生き地獄。
もし選べるなら…
選べるのなら、人を信じる人生がいい。
嫌われる勇気
ふと思った。
「『嫌われる勇気』をもう一度読み直そう」って。
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みであると言い切るアドラー心理学を。
前回読んだのは、約2年前。
もう「課題の分離」くらいしか、記憶にない。
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
嫌われる勇気
およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。
嫌われる勇気
彼が既婚者でありながら他の人とデートしたり、ニューヨークの恋人がいるのに私とデートしたり旅行に行ったりするのは「彼の課題であって、私の課題ではない」ということは、この錯乱してる頭でもわかった。
よし。
もう一度、じっくり読み直してみよう。
もう一度、最初からアドラー心理学を
読み返して最初にびっくりしたのは、アドラーがユダヤ人だったということ。
そう、既婚者彼氏もユダヤ人。
本には直接書かれてないけど、ユダヤ教の教えが何度か引用されてた。
ユダヤ教の教えに、こんな言葉があります。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」と。
嫌われる勇気
これまで読んだときは「へえ、そんな教えあるんや」くらいやった。
ユダヤ人と知り合ったことがなかったから。
でも、今は違う。
この教えは、彼の人生観そのものやった。
「もし奥さんにやり直そうって言われたら、どうする?」って聞いたとき、彼はこう答えた。
- I would say “I am sorry I am not ready to do that. I have to live my own life and figure it out who I am”.
やっとこの言葉の意味がわかった。
そして、もう一つ驚くべきは、このアドラー心理学は「常識のアンチテーゼ」でもあるということ。
そもそもアドラー心理学では、トラウマは存在しない。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック——いわゆるトラウマ——に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。
嫌われる勇気
どういうことか?
例えば、私の場合であれば「お父さんが音信不通になって亡くなったから、恋愛がうまくできない」ではなく、「恋愛したくないから、お父さんが亡くなったときの不安を持ち出した」と考えることになる。
つまり、感情を捏造しているということ。
これがアドラーの“目的論”の考え方であり、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えるという手法。
もちろん、ずっと前に読んでるから、アドラーがトラウマを否定してること自体は知ってた。
それでもやっぱり、トラウマがあるからこんなに苦しいとしか思われへんかった。
実際に婚活を経験した身としては。
アドラーがユダヤ人であること、アドラー心理学が常識のアンチテーゼであること、これは既婚者彼氏にとっては都合がいいけど、私にとっては都合がよろしくない。
結婚してるのに彼女を2人も作って、家に招待して親に紹介するなんて、常識外れもいいところである。
たとえ、それがアメリカの文化であったとしても。
でも、救われた一文があったのも事実。
アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。
嫌われる勇気
だとすれば、私は、今のこの荒んだ気持ちを手放して生きることができる。
人を信じるということ
無心で読み進めた。
ある文章にたどり着いたとき、息が止まった。
いいですか、信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。
嫌われる勇気
私は、彼を信じることができなくなってしまった。
愛するって何?
いや、そもそも愛って何…?
アドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです。互いを束縛し合うような関係は、やがて破綻してしまうでしょう。
嫌われる勇気
ここで、初めて浮気についての言及が登場する。
積極的に浮気を肯定しているわけではありません。こう考えてください。一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋ではあっても愛とは呼べない。人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。
嫌われる勇気
いまの段階でいえるのは、逃げてはならない、ということです。どれほど困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先延ばしにしてはいけません。たとえ最終的にハサミで断ち切ることになっても、まずは向かい合う。いちばんいけないのは、「このまま」の状態で立ち止まることです。
嫌われる勇気
我も忘れて読んだ。
私は向き合う必要がある。
アドラー心理学が100%正解だというわけじゃないけど、私は心の平穏を取り戻したい。
いや、平穏だったと思ってた世界が違ったのなら、手に入れたい。
マッチングアプリなんかやってる場合じゃない。
そんなの彼に対する腹いせでしかない。
人を愛することが幸せなら、私も愛せるようになりたい。
やっぱり私は、正面から向き合う必要がある。
彼に対してじゃない。
私は私と向き合う必要がある。
幸せになる勇気
ある言葉が胸に突き刺さった。
人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。
嫌われる勇気
私は、いま不幸だと思う。
少なくとも、この本によれば。
どうしたらいい?
何をしたらいい?
あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ“勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。
嫌われる勇気
確かに、勇気はない…。
もうこれ以上傷つきたくないから。
信じるのが怖い。
裏切られてまた傷つくのが怖い。
今の私は、「男は浮気する」と思ってる。
どうしてあなたが他者を「敵」だと見なし、「仲間」だと思えないのか。それは勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。
嫌われる勇気
…残念ながら、その通り。
完全に他者を敵と見なしてる。
ということは、つまり、
- 幸せになる勇気がない→人生のタスクから逃げる→他者を敵と見なす
ということになる。
でも、逆に言えば、「人生のタスク」に取り組むことが幸せにつながるということでもある。
じゃあ、その人生のタスクって何?
アドラー心理学は、勇気の心理学。
人生のタスクの先にあるもの
アドラー心理学では、ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係を「人生のタスク」と呼ぶ。
その人生のタスクには、次の3つがある。
- 仕事のタスク:上司や部下、同僚との人間関係
- 交友のタスク:仕事以外での友人関係
- 愛のタスク:恋愛関係・夫婦関係、家族関係・親子関係
愛のタスク…。
やっぱり、私はきちんと向き合う必要がある。
幸せになるためには避けて通れないから。
じゃあ、どうやって良好な対人関係を築けばいい?
アドラー心理学では
- 対人関係の基礎は「信用」ではなく「信頼」によって成立する
- 対人関係の出発点は「課題の分離」であり、ゴールは「共同体感覚」
と考える。
信頼とは、無条件に信じること。
裏切られることがあっても、それでもなお信じ続ける態度。
共同体感覚とは、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。
この共同体感覚は、幸福な対人関係のあり方を考える、最も重要な指標であるという。
アドラー心理学の鍵概念=共同体感覚
ああ、きっと私は分水嶺に立っている。
これから幸せになれるか、否か。
そんな気がしてならない。
「どれだけ傷ついたら幸せになれるやろう?」
って思ってた。
婚活しながら。
気になる人から連絡が来なくなったり、ドタキャンされたり。
でも、きっと良い人がいるって信じてた。
彼と出会えて良い人が見つかったと思ったけど、試練は終わったわけじゃないのね。
私は、もう一度、信じることができるかどうか試されている。
ここをクリアできなければ、何も始まらない。
幸せになれない。
私は、人を信じる人生を選びたい。
そう決めた。
よし。
もう一度、出発点に立とう。
ゴールに向かおう。
じゃあ、対人関係の出発点「課題の分離」から、ゴール「共同体感覚」へは、どうすればたどり着けるのか?
どうやって、人生のタスクに立ち向かえばいい?
そのためには、「横の関係」という概念が必要になる。
上下関係のない、対等な関係。
アドラー心理学の根本原理=横の関係
これは、なんだか当たり前のような気もする。
逆に、「縦の関係」だとどうなるか?
見下し、見下され、褒めたり叱ったりすることで、相手を“操作”しようとする。
実は、他者の課題に土足で踏み込むときも、相手を自分より低く見ているから起こるという。
え、じゃあ…
彼に離婚してほしいと思ったり、ニューヨークの恋人がいたことに対して怒りを持っているのは、私が彼を下に見てるってこと…?
縦の関係で?
いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。
嫌われる勇気
あ、そういえば…
初めて彼に会ったとき、日本には年上を敬う文化があるという話をした。
彼は私の4歳年上。
「日本では、1歳でも上なら先輩になるから」って言ったら、彼はこう言った。
「僕たちは対等だよ。お互いに尊敬し合おう」って。
アメリカの文化なんかなって思ってた。
自由と平等の国やから。
そういえば、この前はこんなことを言われた。
- You make me feel safe and free from judgment.
彼は「横の関係」の世界の住人なんやろうか?
いや、私ジャッジせえへんっていうか、理解に苦しんでるから何て言うべきかわからんだけやねんけど。
心の中で葛藤してるよ。
私が幸せになるためには、これからどうしたらいいかを真剣に考えてる。
その答えがまだ出ないだけ。
答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきものです。他者から与えられた答えはしょせん対症療法にすぎず、なんの価値もありません。
嫌われる勇気
やっぱり、私は考え続けたい。
自分の頭で。
幸せになるために必要な考え方3つ
ここまで、良好な対人関係には、対等な「横の関係」が必要になるということはわかった。
図解すると、こんな感じになる↓
じゃあ、対人関係のゴール「共同体感覚」を持てるようになるためには、どうしたらいいか?
それには、この3つが必要になるとのこと。
- 自己受容:ありのままの自分を受け入れること
- 他者信頼:他者を無条件に信じること
- 他者貢献:「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考えること
この3つが揃って初めて、裏切りを恐れることなく「人々は自分の仲間だ」と感じられ、誰かの役に立っていることを実感することで、自分の価値と同時に「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができる。
つまり、幸せにつながる。
この前、タカラジェンヌになりきったとき、初めて自己受容ができた。
私は決して美人ではないけど、元の姿で胸を張って生きていこうって思えたから。
ということは、やはり今の課題は「他者信頼」。
“二度あることは三度ある”と言う。
奥さんがいたこと。
ニューヨークに恋人がいたこと。
これからも女性関係で悩まされるのではないか?と考えるのは、大きく間違ってないと思う。
でも同時に、“三度目の正直”という言葉もある。
もう一度だけ、信じてみようかな…?
信頼することで、幸せになれるなら。
きっと、彼には彼なりの哲学がある。
もはやアメリカの文化や、ユダヤ教の教えに則らない、彼自身の哲学が。
確かに、彼は私に対して、明確にコミットしたわけじゃなかった。
プロポーズされたわけでもないし、I love you. と言われたこともない。
彼の中ではデーティングしてた(5回来日して数百万使った)だけやった。
私は、「こんなにも時間とお金を使ってくれた」から、直接確認せずに勝手に恋人やと思った。
脳内お花畑と言われたらそれまで。
悔しいけど。
もし、仮に「私たちの関係は?」って確認していたとする。
きっと彼は「カジュアルな関係だよ」と答えたはず。
だから、
- I am interested to see what becomes of Sachiko and James.
って言ったんやと思う。
ハワイに行った翌月に。
デーティング期間中やったから。
奥さんがいるからじゃなかった。
そして、彼に哲学がある通り、私にも「私の哲学」がある。
4月に入って、つまり、ニューヨークの恋人と別れた後、彼はこう言った。
- Thank you for being such a thoughtful, kind, endearing partner.
彼の定義によると、partnerには4つの意味がある。
- long-term relationship active
- long-term relationship not active(not romantic)
- wife or husband active
- wife or husband not active(not romantic)
ということは、デーティングは終了し、恋人関係になったということになる。
彼の言葉を信じて、もう一度ここから始めてみよう。
それでもし浮気をするようなことがあったなら、一切許容できないし、許容しない。
これが私の哲学。
もしもあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。こちらから捨ててしまってかまわない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。
嫌われる勇気
これからの目標
私には、幸せになる勇気が足りなかった。
人を信じるという勇気が。
「裏切られて傷ついたから、もう信じられない」ってトラウマのせいにしようとしてた。
でも、今から選べる。
どう生きるかは。
われわれ人間は、原因論的なトラウマに翻弄されるほど脆弱な存在ではありません。
嫌われる勇気
もう一度、純粋に人を信じてみたい。
もちろん、騙されることもあると思う。
裏切られることもあると思う。
でも、それは相手の課題であって、私の課題ではない。
私は「信じる」という道を選ぶ。
幸せになりたいから。
この際、彼がどうするかはもうどうでもいい。
私は私が幸せになるために、人を信じる。
ただ、それだけ。
これからは、アドラー心理学に基づいて目標を立てたい。
アドラー心理学では、人間の行動面と心理面のあり方について、それぞれ目標を2つずつ掲げている。
【行動面の目標】
- 自立すること
- 社会として調和して暮らせること
【この行動を支える心理面の目標】
- わたしには能力がある、という意識
- 人々はわたしの仲間である、という意識
この4つの目標は、アドラーの言う「人生のタスク」と向き合うことで達成できるとのこと。
私は、お父さんが亡くなってから、恋愛を避けてきた。
親密にならないようにしてきた。
怖かったから。
思えば、昔から友達の幸せなニュースを聞くと、少しだけ悲しくなった。
どこか自分の幸せが減ってしまうような気がして。
それは「勝ち負け」を気にしてたからやった。
幸せになるためには、考え方を丸ごと変える必要がある。
だから私は立ち向かう、人生のタスクに。
彼から連絡が来た。
「連絡できなくて、ごめんね。ちょっと具合が悪くて」
「大丈夫?」と私は返信した。
『嫌われる勇気』をもう一度読んでみて
私が初めて『嫌われる勇気』を読んだのは、確か30歳くらいのとき。
「もっと早く読んでおけばよかった」と思った。
そして、今回も同じ感想を持った。
なぜなら…
アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。つまり、40歳から学びはじめたとすれば、プラス20年が必要で60歳までかかる。20歳から学びはじめた場合にはプラス10年で30歳までかかる、と。
嫌われる勇気
まだ一度も読んだことがない人は、今すぐ読むべき良書。
実践するかどうかを判断するためにも、読まない理由はない。
「読まないと損」じゃなくて、「1日でも早く読まないと損」する本。
たったの1,000円ちょっとで人生が変わるきっかけがある。
特に、彼氏の浮気を疑ってしまう婚活女子に読んでほしい。
私は、この本を読んで爽やかな気持ちになれた。
ここまで、大切な時間を使って読んでくれてありがとう。
あなたが浮気を疑ってしまう気持ちは、痛いほどよくわかる。
でも、あなたが幸せになれるかどうかは、いまこの瞬間に選べる。
婚活している仲間の一人として、このブログが少しでもヒントになったら嬉しいな。
ただ、ここまで読んでくれた人の中で、実際にこの本を買って読む人は、残念ながらほとんどいないというのも私は知ってる。
なぜなら、90%の人は行動しないから。
「今は忙しいから、後にしよう」
「仕事が落ち着いたら…」
そう言い訳して、ついつい先延ばしにしまう。
先延ばしにしたら、どうなるか?
目まぐるしい日々の中で、いつの間にか忘れてしまう。
もちろん、この本を読むか、読まないかは、あなた次第。
あなたの課題であって、私の課題ではない。
ただ、最後にこの言葉を紹介させてください。
不幸の源泉は対人関係にある。逆にいうとそれは、幸福の源泉もまた対人関係にある
嫌われる勇気
最後まで読んでくれて、どうもありがとう。
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